認知症は相続時の大きな障害になる
認知症の患者数は、高齢化の進展に伴い増加しています。認知症になると、本人による財産管理に支障が出るため相続対策にも障害となります。
認知症になると、本人は遺産分割のための財産管理ができなくなります。また、遺産分割の意思も示せなくなるでしょう。その場合、家族の一人に都合のいいように誘導されかねません。仮に遺言書があっても、その有効性を巡り相続人の間でトラブルになることもありえます。
認知症への対策として考えられるのは、成年後見制度と家族信託があります。後者は、認知症対策だけでなく、遺言代わりになるなど幅広い相続トラブル対策として利用できます。
成年後見制度は制約が多く負担も大きい
認知症になると、自分で物事を判断する能力が不十分になったり失ったりします。成年後見制度とは、後見人をつけることによって認知症の人を保護する制度です。後見人が一定の法律行為を判断したり行ったりし、認知症の人が不利益を受けないようにします。
成年後見制度には、①本人が判断能力のあるときに本人が事前に任意後見契約をしておく任意後見制度と、②本人の判断能力が低下したり失われた後に家庭裁判所が後見人を選任する法定後見制度があります。
①任意後見制度
任意後見制度では、本人の意向を任意後見人に伝えておくことにより、認知症発症後も本人の望む形での財産管理ができます。
任意後見人は家族や友人のほか、弁護士や司法書士などの専門家に頼むこともできます。
しかし、認知症発症で保護が必要になると、家庭裁判所が任意後見監督人を選任し、定期的に任意後見人の職務を監督チェックします。したがって、任意後見契約で定めた権限がすべて遂行できるとは限りません。
また、任意後見人には法定後見制度のような取消権がないことや、任意後見監督人の報酬が発生したり、任意後見監督人に任意後見人の解任する権限があることに留意しなければいけません。
②法定後見制度
一方、法定後見制度では、本人の認知症が進行してしまっているので、通常は家族などが家庭裁判所に申し立てを行います。
家庭裁判所では、法定の成年後見人を選任します。法定の成年後見人は認知症の進行度に応じて補助・保佐・後見の3種類があります。最も重度な後見の場合は、あらゆる法律行為を代理することができます。
法定後見制度の成年後見人は家庭裁判所が選任します。したがって、家族が希望してもなれるとは限りません。仮に家族が成年後見人に選任されたとしても、その家族は身上監護を行えるにとどまります。身上監護とは、介護施設に入る契約や病院への入院手続きなどを指します。
一般的に財産管理の行為については、弁護士や司法書士など専門家が成年後見監督人として選ばれます。この場合、身上監護の成年後見人である家族と財産管理の成年後見監督人の意向が一致しないことも生じえます。
例えば、家族が全員同意していても、成年後見監督人が財産保全の立場から自宅の売却に同意せず、介護施設の入居費用が捻出できないといったケースです。成年後見監督人は、自宅売却によって本人の財産が減るのは本人にとって不利益だとみなすからです。
- 法定後見制度のデメリット
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- 家族が成年後見人になれるとは限らない(なれたとしても身上監護の行為のみ)
- 身上監護の成年後見人である家族と財産管理の成年後見監督人の意向が相反する可能性
- 毎年の家庭裁判所への報告義務がある
- 資産の積極的活用や生前贈与などができない
- 成年後見が開始された後は成年後見をやめることができない
- 成年後見監督人への費用負担
成年後見制度は、あくまでも本人の財産上の利益を守ることを目的するものです。したがって、相続対策としては不都合な点があります。
相続のための認知症対策で注目される家族(民事)信託
家族(民事)信託は、2007年9月30日に施行された改正信託法によって可能になりました。急速な高齢化に伴う高齢者の財産管理や遺産承継を行うニーズの高まりが背景にあります。
普及協会の設立の趣旨では、信託という手法を活用して財産管理を家族自身が担う、いわば家族の家族による家族円満のための信託とされています。また、親族後見人に負担がある成年後見制度や抵抗感のある遺言の代わりに、円満な資産管理・承継を実現するとも説明しています。
この制度は、大切な資産と想いを信頼できる家族に託す制度です。したがって、将来の認知症などによる意思能力の低下に備えた相続対策として有効です。ただし、意思能力を失ってからでは契約行為ができません。したがって、意思能力があるうちに検討する対策です。
- 具体的な利用方法
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- 介護対策(介護費用の捻出)
- 不動産の共有対策(相続人共有回避)
- 認知症対策(成年後見制度の代わり)
- 2次相続以降の資産承継対策(先祖代々の家系への資産の受け継ぎ)
- 同族で会社経営をしている場合の円満な事業承継対策
この方法は、当初は遺言書ではできない2次相続対策として注目されていました。しかし、現在では認知症対策として利用されることが多くなっています。
元気なうちは自分で財産を使える
この信託の基本的な仕組みは、次のようになります。
まず、父親など財産の所有者が委託者となって、信託財産を管理する受託者となる家族(長男など)と信託契約を結びます。
委託者の財産は信託財産として名義が受託者(長男)に変わります。しかし、父親は、引き続き受益者として自分の財産(信託財産)を使うことができます。
その後、父親が認知症を発症したときは、長男が柔軟に信託財産の処分などの判断をして実行することができます。
この場合、金融機関などが父親に対して本人の意思確認手続きをする必要がありません。したがって、資産凍結状態になって資産が使えなくなることがありません。
なお、長男だけに信託財産管理を任せることに不安がある場合は、他の家族を信託監督人にして財産管理をチェックすることもできます。
家族(民事)信託の進め方
①受託者の選任する
一般的な手順は、まず財産を管理してもらう受託者を選任するところから始まります。受託者はいちばん信頼のおける家族になりますが、他の家族が不満を持たないように配慮して選びます。
配偶者と長男というように受託者を複数にしてもかまいません。適当な受託者がいない場合は、第三者の法人に依頼することもできます。
②信託目的・依頼内容(信託財産ほか)・受益者の指定を決める
受託者が決まったら、信託をする目的と依頼する内容、受益者の指定を受託者と話し合って確認し決めます。家族の納得を得るという意味では、委託者と受託者だけでなく、家族全員で話し合うとよいでしょう。
依頼内容は目的に合わせて自由に設定できますが、指定する信託財産は明確にしておく必要があります。
信託財産の対象は、不動産(土地、建物)、現預金などです。株式は、上場株式は実務上で信託財産にすることが困難ですが、同族経営などの非上場株式は可能です。
③信託財産専用の銀行口座を用意する
信託財産を受益者がお金として使う場合には、信託財産専用の銀行口座をつくる必要があります。信託銀行などで委託者と受託者が共有で管理できる民事信託口座を開くことができます。
また、公的年金の受給権も信託財産にできないので、年金の受給口座を信託の口座にすることはできません。年金受給口座に振り込まれた後、信託用の口座に送金することで信託財産とすることはできます。しかし、この場合、定期的な送金を信託契約書に記載しておく必要があります。
④公正証書で信託契約書を作成する
信託契約の内容は契約書にしておく必要があります。しかし、契約内容の整合性や正当性など法的な不備があるとトラブルに繋がりかねません。したがって、弁護士や司法書士など専門家に契約書作成を依頼した方が望ましいです。想定される今後のトラブルや対策を実情に合わせてアドバイスしてもらえます。
なお、信託契約書はリスクを避けるためにも公正証書にしておくべきです。
さまざまな目的に使える
この信託は自由に内容を設計できるため、以下のような使い方が可能です。
①認知症による介護対策
認知症によって介護状態になったとき、自分の資産で必要な費用を確保したいときに家族が資産を管理したり、処分したりすることができます。
例えば、家族(受託者)が介護施設の入居費用にあてるために自宅を売却したり、自宅をリフォームして賃貸に出し家賃を介護施設の月々の支払いにあてたりできます。
②不動産の共有対策
自宅などの不動産を複数の相続人による共有でもめることを避けることができます。
例えば、父が3人の子のうち、長男を受託者とする信託契約を結びます。そして、父母が死亡後の受益者と分け方を3人に指定します。この場合、親の死亡後の相続で共有名義になっても、長男が売却などの処分をし、売却金を信託契約に基づいて3人で分配することができます。
③2次相続以降の資産継承対策
遺言書では1次相続の相続人までしか指定できません。しかし、家族(民事)信託では、2次相続以降の財産の受取人を指定しておくことができます。
例えば、子のない夫婦で夫が死亡したときの相続人は妻だけになります。その後、妻が死亡すると、2次相続遺産は妻の兄弟姉妹などが相続することになります。したがって、夫の家系には夫の遺産が承継できません。
この場合、夫の弟の子(夫側の甥や姪)などを家族(民事)信託で指定しておけば、先祖代々の資産を夫自身の家系に引き継ぐことができます。
④遺言としての機能を活用した対策
遺言書としての機能も持っていますので、遺言書代わりに活用することができます。
例えば、高齢夫婦の場合は妻が認知症になっているケースもあります。夫が先に亡くなると、妻は相続した遺産の管理もできません。また、2次相続の遺言書を書くこともできません。
この場合、夫が家族(民事)信託で妻の財産管理や妻が亡くなったときの資産承継者を指定しておくことができます。つまり、遺言書を書いたのと同じ効果があるのです。
遺言書は作成ルールが厳格に定められていて面倒です。さらに、法的要件を満たしていないと無効になるリスクがあります。その点、この信託は契約によって行うので無効になるリスクを心配する必要はありません。
注意点
この信託は有力な相続対策になりますが、次のような注意点があります。
- 受託者の選定に注意しないと受託者以外の相続人とトラブルが起きる可能性がある
- すべての財産を信託財産にすることはできない。
- 年金受給権などは不可、上場株式は証券会社が名義変更を引き受けないことが多い。
- 信託財産以外の財産は相続時に遺産分割協議が必要となる。
- 信託財産の損失はその他の財産と損益通算ができない。例えば、信託財産にしている家の家賃収入が減って赤字になった分を信託財産以外の財産の黒字分から差し引いて税金を安くすることができない。
- 専門家への相談料などは遺言書作成などより高めになる(数十万円程度)
- 2次相続以降の長期にわたって資産の承継者を指定できるが、長期間資産処分に制限をかけることになる